「あ〜お〜げ〜ば〜、と〜お〜と〜し〜…」
「?」
「わ〜が〜し〜の〜お〜ん〜…」
「…あの、なんですか?」
「仰げば尊しだろ? なんだ、しらねーのか?」
「はい…」
「卒業式に歌うんだよ。定番なんだ」
「卒業式…ですか?」
「今日はマルチの卒業式みたいなもんだろ?」
「…え」
そう、あの日俺はマルチのために「仰げば尊し」を歌った。
ちょっと遅い…もしくは、ずいぶん早い卒業式のために。
そして今、俺はマルチから卒業したのかも知れない。
マルチの心 −第九話−
浩之とあかりはベッドの中で生まれたままの姿でいた。
そしてこれまでのことを永遠に刻みつけようかというくらい長いキスを交わしている。
重なり合っていた唇が離れ、見つめ合う二人。
「あ、あのな、あかり…。」
「ううん、今はなにも言わないで…。」
そういってあかりは浩之の唇に人差し指を当てた。
「私、今すごく幸せだよ。このまま死んじゃっても良いくらい…。」
「バカ…、これくらいで死んでいたら命がいくらあっても足りないぞ。」
そういって浩之はあかりの額を指で弾いた。
「あっ!浩之ちゃんひどい。」
そういいつつ二人して笑い出す。
二人ともいつもの調子に戻ったようだった。
その瞬間、ぐぅ〜という音が浩之のお腹から聞こえた。
「ふふっ、浩之ちゃんたら〜。」
「しょうがねぇだろ、朝からまともに飯を食ってないんだから。」
浩之は不機嫌そうに答えた。
「私ね、もし浩之ちゃんが本当に病気だったら大変だと思って晩ご飯のおかずを買ってきたんだよ。」
「今作るね。」
そういってあかりはベッドから身を起こし、服を身につけ始めた。
「あっ、そうそう、浩之ちゃんもベッドからでてね。」
あかりの着替えをなんとなく見ていた浩之は
「なんでだよ。」
と訊ねた。
あかりは頬を染めつつ、
「シーツを洗濯しないと…。」
恥ずかしそうにそうつぶやいた。
浩之も顔を赤くし、
「ああ、そうだな。」
と答えるだけであった。
あかりはシーツを洗濯機に入れ、ベッドメークをすませると食事の準備を始めた。
浩之も二階から降りて来て今でTVを見ていたが、実際には心ここにあらずといった風情であった。
…俺、あかりと寝ちまったんだよな。
…しかし、あかりがあんなに積極的になるなんて初めてのような気がする。
…とはいえ、あいつには心配をかけちまったな。
とりとめのない考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す浩之であった。
そうこうしているうちに台所からあかりが声をかける。
食卓へ行くとそこにはいつものようにあかりの作った食事が準備されていた。
病気だったらと考えたせいかいつもより栄養価の高い物が多いようだ。
「たくさん食べてね。」
あかりはそういって山盛りのご飯を浩之に渡した。
いつもなら食事の最中でもそれなりに会話があるのだが、お互い気恥ずかしいのかもくもくと食事を続けるだけであった。
「ごちそうさま。」
そういって浩之は箸を置く。
「お粗末様でした。」
あかりはそう答え、食器を片付け始める。
洗濯も終わり、食事の後片付けもすんでからあかりは居間へやって来た。
「ねえ、浩之ちゃん。」
「なんだ、あかり。」
「もし良かったら、悩んでいた訳を教えて?」
言いにくそうにあかりは聞いた。
「ああ、俺もお前には話さないといけないと思っていたんだ。」
「お前には本当に迷惑をかけちまったからな。」
「ううん、そんなことはないよ。」
あかりの答えを聞いて浩之はあかりらしいなと心の中で苦笑した。
「高校時代に一週間ほどメイドロボットが運用試験で学校へ通っていたことがあるだろ。」
「うん、マルチちゃんのことだね。」
「そう、マルチのことだ。あいつって結構ドジでおっちょこちょいだったからちょっと手伝ってやったりしたんだよ。」
「浩之ちゃん優しいから。」
そういって目を細めるあかり。
「そんなんじゃないぞ、なんていうか放っておけなかっただけだ。」
それが浩之ちゃんの優しさなんだよと心の中で思うあかりだった。
「で、そうしたら運用試験が終わった翌日に俺のところへお世話になったお礼だと言ってやって来たんだ。」
やって来たマルチは家の中の掃除や洗濯、料理はちょっと難有りだったが、とにかく世話をやいてくれた。
浩之もメイドロボットの良さを実感できたし、なにより人間のようなマルチと一緒にいるのは非常に楽しかった。
そうこうしているうちにやることが無くなってしまい、家事をやってくれたお礼を兼ねて浩之は遊園地へマルチを連れて行った。
そして遊園地で色々なアトラクションを楽しんだあと、最後に乗った観覧車の中で浩之はマルチのその後を聞いた。
それはこれまでのデータをホストコンピュータに移したあと、リセットされて新しいマルチが入る、つまり今いるマルチがいなくなる
という浩之にとっては衝撃的な事実であった。
しかしながらマルチとて浩之と別れるのはつらく、話ながらも涙をこぼしていたが、それを浩之に見せまいとして顔は伏せていた。
それを見た浩之はいじらしく感じた。
マルチが次に顔を上げたとき、そこにはいつもの笑顔があった。
その笑顔を浩之の心に刻み込むことになる。
そして浩之はマルチの妹が発売されたら買うと約束しマルチと別れた。
数ヶ月前にマルチが発売されると同時に浩之は両親にマルチを買いたいと申し出た。
両親もそれに反対せず、喜び勇んで浩之はマルチを注文した。
それが届いたのが数日前であった。
「そうだったんだ。」
「そうすると機械工学部のロボット学科へ進んだのも…。」
「ああ、あいつみたいなロボットを世に出したかったからな。」
「でも、なんで浩之ちゃん、元気がなかったの?」
「それは…。」
感情がこみ上げてきたのか浩之は声を詰まらせる。
「どうしたの、浩之ちゃん。」
心配そうにあかりが声をかける。
「マルチには、いや、マルチの妹にはあのマルチの心はなかった…。」
感情を無理矢理押さえつけた声で浩之は答えた。
「起動して、声をかけ、そして電源を切る。ここ数日ずっとこればかりしていた。」
浩之の目が潤んでいるのをあかりは見逃さなかった。
あとがき
遅くなりましたがマルチの心 第九話をアップいたします。
管理者日記をお読みの方はご存じと思いますが、そうなった理由はこの10日間「君が望む永遠」をプレイしていたためです。(^^;)
元々仕事から帰ってきてもやることが多いのと、以前より帰りが遅くなったために一つのことしかできない状態になっちゃったのが一番の原因です。
更に一度始めたゲームはある程度見切りがつかない限り続けてしまうという難儀な性格も相まってこのような事態になりました。
差し当たり、こみパが次に控えているのですが、こっちはPC版を一度クリアしているのでゆるゆるプレイしていこうと思ってますので今度はある程度
コンスタントにアップできるのではないかと思ってます。
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